ローバーの買収は失敗ばかりではなかった。
「自動車業界ではブランドが極めて重要だ。 成功する企業は自分の強みに焦点をあわせることと、的を絞って成長と拡大を進めることが必要だ」BMW社長のへルムートパンケは、2002年10月、東京で開いたN新聞社主催の「世界経営者会議」でこう強調した。
世界を揺るがす巨大合併自動車実用化の父と呼ばれるドイツの機械技術者のゴットリープ・Dの生家「D・ハウス」は、D・C本社のあるシュツットガルト近郊のショーンドルフにある。 2005年2月十日午前十時からジンデルフィンエ場で行われた2004年業績発表の記者会見でY社長の説明を聞き、デザインセンターを見学したあと立ち寄ってみた。
木で骨格を組み、白い漆喰で壁を固めた3階建ての古い一軒家は、パン屋を営んでいた父ヨハネスをはじめ、代々D家の人々が住みついていた。 壁にはDの歴史がわかる古い写真がかけてあり、Dが使った工具などの遺品が飾ってあった。
Dはここで1834年に生まれた。 バーの売却によって重荷のなくなったBMWは、新たに手に入れたロールス・ロイス、ミ二とBMWのブランドを組み合わせることによって多様な時代に対応したブランド戦略を展開し、毎年10%を超える成長を続ける体制を維持している。
幼いころから機械好きだったDは1886年、独自に開発した水冷直立型のガソリンエンジンを4輪車に積んで今日の自動車の原型となる「D・モトール・クッシュ」をつくり、1889年のパリ万国博覧会に出展した。 シュツットガルトに近いドイツ西部のマンハイムでは、鉄道機関士の息子として生まれたカール・ベンツがやはり1886年、独自に開発したガソリンエンジンを3輪車に積んで「パテント・モトール・ヴァーゲン」を発明し、一足先に特許を取得した。
その夫人のベルタはミュンヘンの街を実走ドライブしてみせた。 ダィムラーは1890年にはD・モトール社をシュツットガルト近郊に設立し、自動車産業の基礎をつくった。
Dの自動車は、当時ブームとなった「自動車レース」で優勝できる性能を持つクルマの開発を依頼した、オーストリア・ハンガリーの大富豪でニースの総領事を務めていたエミール・イェリネックの娘の名前を冠した、「メルセデス」の名で売られるようになった。 ダィムラーとベンツはそれぞれ独自に自動車開発を進めていたが、第一次世界大戦後の経済困難のなかで、1926年に合併してD・ベンツ社となった。

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